中国旅行 ビザ準備編
2024年9月15日。この日は日本中の物理を専門にする研究者が北海道に集結している。教授も同期も後輩も、彼女も友達も、みんなである。2024年度日本物理学会秋季大会の会場は北海道大学。かくいう僕も北海道で研究発表をし、合間にジンギスカンやソフトクリームに舌鼓を打っているはずであったが、現実は無常である。学会とは研究成果の発表会であり、すなわち研究成果がなければ参加できない(正確には聴講をしに北海道に行くというパスもあるが、そこまでして北海道に行く気はない)。北海道で避暑を堪能している研究室メンバーを尻目に、僕はくそ暑い中、がらんどうの研究室で研究をするのだろうか?答えは否である。2024年9月15日から23日までの9日間、僕は中国にいた。
旅における"勝利"とは何だろうか。たくさん思い出を作ること?山ほどお土産を買うこと?なるべく多くの観光地を巡ること?旅の正解というのは人によってさまざまで十人十色、答えなんか存在しないだろう。スリにあっても、怖い思いや大変な思いをしても、無事に帰国できれば笑い話である。けれども、旅の"敗北"ははっきりしている。「そもそも旅行ができなかった」。これ以上の敗北は存在しないだろう。
実は、中国旅行を画策したのは今回が初めてではない。ちょうど一年前、2023年の夏休みに、僕は友達との中国旅行を画策していた。舞台は北京。「まずは精神的準備だろう」ということで映画「ラストエンペラー」を観てまだ見ぬ紫禁城を想い、新書で北京の歴史について一冊読み、中国へのパッションを最高の状態に持っていく。飛行機も宿も取り、準備は万端。あとはビザを取得するだけ。しかし、ここで問題が起きたのだった。最後にいざビザを取ろうとすると、中国ビザセンターの予約がいっぱいで計画していた日程はおろか、夏休み中の旅行が不可能であることが判明した。2023年の中国ビザセンターは予約制、しかも一日の予約可能人数をかなり絞っていて、ひと月先まで予約がパンパンだったのである。飛行機はLCC、宿はキャンセル不可のものを取っていたため、金をどぶに捨て、我ながらあまりのマヌケさに笑うしかなかった。その日は気持ちいいほどの快晴で、僕たちはやけっぱちになり池田城の天守閣でしこたまビールを飲んだ。結局、その埋め合わせに我々は北海道に2週間滞在し、これまたサッポロクラシックを飲みまくり旅を決行することになる。一年前は中国に行けなかったから北海道に行き、今年は北海道に行けないから中国に行く。人生とはわからないものである。
前回の失敗で、「ビザ」がトラウマになってしまったため、準備は入念に行った。西に中国ビザ申請の書き方を紹介しているYouTubeがあれば見漁り、東にビザ取得体験談を書いた旅行ブログがあればこれまた見漁った。ビザ申請をはじかれてしまえば余計に時間がかかるため、申請規定とにらめっこをして乗せる写真もしっかりと撮った。この写真が結構曲者で、写真幅や背景の色、頭のてっぺんと写真の上端との幅まで細かく規定がなされている。面倒なことこの上なかったが、あれこれやり直しを重ね、写真もクリア。出発予定日の2か月前にビザセンターに向かった。激混みを予想し、9時には本町に到着。くそ暑いなかビザセンターの位置が見当たらず、のそのそ探し回り30分経過。最終的に目的の雑居ビルを発見し、申請。5日後、無事取得。美しい手際。「来た、見た、勝った」とはこのこと、まさに捲土重来であった。
そこから出発までの期間は、特筆すべきことは特にない。あとは行くだけ。旅における"敗北"はすでに回避している以上、あとはワクワクして待っていればよい。中国の酒について調べたり、四川出身の中国人youtuberを見たり、アプリで適当に中国語を勉強したりとのらりくらりと日々を送って、ついに9月15日。日本中の物理学者が北へ向かう中、博士後期課程一年の僕は一人、南西方向の厦門高崎国際空港へ翔んだのであった。